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PROFILE

美術家
大畑 周平

1974年生まれ。東京造形大学美術学科Ⅱ類卒業。
プロダクツデザインに彫刻的な方法論を導入した作品を展開し、「手相を変えるための指輪」「お香として炊ける貨幣」「燃えたまま食べるチョコレート」など、実際に体験する行為を通して「人」と「モノ」、「現実」と「非現実」の間を横断する装置としての作品を発表する。また近年は食をテーマとした作品を中心に手がけている。
主な展覧会に、クリテリオム59(水戸芸術館/2004茨城)、 アーカスプロジェクト(茨城県三の丸庁舎/茨城2008)、 Brand New Valentine(三菱地所アルティアム/福岡2010)、Barocco : Baroque pearl Jewerly Exhibition(伊丹市立工芸センター/兵庫2012)、3rd exhibition AGAIN-st Dependent sculpture(東京芸術大学絵画棟/東京2013)など。
http://www.shuheiohata.info/

RADIO REPORT

vol.162016.01.2919:00-20:00

大畑周平 × 山崎晴太郎

山崎
ソラトニワ銀座をお聞きの皆さん、こんばんは。アートディレクター、デザイナーの山崎晴太郎です。本日のゲストをお迎えいたしましょう。美術家の大畑周平さんです。こんにちは。
大畑
こんにちは。
山崎
お足元の悪い中、ありがとうございます。今夜は雪が降るかもしれないので、第2部のリアルトークサロンに来てくださる方も気をつけて、会場にお越しいただければと思います。では、まずは簡単に大畑さんのプロフィールをご紹介します。1974年生まれ、東京造形大学美術学科Ⅱ類を卒業。プロダクツデザインに彫刻的な方法論を導入した作品を展開され、「手相を変えるための指輪」「お香として炊ける貨幣」「燃えたまま食べるチョコレート」などなど、実際に体験する行為を通じて、「ヒト」と「モノ」、「現実」と「非現実」の間を横断する装置としての作品を多数発表していらっしゃいます。

「火を食べる」という作品ができるまで。

山崎
大畑さんとはじめてお会いしたのはいつだったか…。4年ぐらい前ですか?
大畑
たしか3、4年前ですね。
山崎
そうですよね。先ほどご紹介した作品「燃えたまま食べるチョコレート」の展示会(「Lumière(リュミエール)K STUDIO, 2012)で初めてお会いしましたよね。僕にとって本当に衝撃的な作品だったのですが、リスナーの方に少し解説していただけますか?
大畑
簡単に言うと、火を食べたい人を募って食べてもらうイベントです。(笑)
山崎
あれは本当にびっくりする体験でした。火を食べることもそうですし、イベントの空間自体も、すごく美しいんですよね。ピアノの生演奏がある荘厳な世界観の中で、火が揺らめいていて…。なんというか、特別な精神世界に溺れていくような感覚を味わった後で、突然「じゃあ、火を食べてください」と言われて、「えっ、食べられるの!?」と静かなざわめきが起こるんですよね。言葉で説明してもなかなか伝わらなくて、実際に体験してもらうのが一番だと思うんですけど。
大畑
本当にそうなんですよね。この作品を発表してから10年ぐらい経つんですけど、いまだに説明に困っています(笑)。
山崎
作品が身体性、体験と密接に結びついているので、そこから離れた状態では説明が難しいんですよね。そもそも、「身体の中に火を灯す」といったような作品をつくろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
大畑
「火を食べる」と聞いて、最初に思い浮かべるのは、大道芸人が火を吹くあれですよね。それ自体への憧れはなかったんですけど、なにかピリピリというか、ザワザワくるような感覚があって。「この感覚はなんだろう?」ということから、「じゃあ、自分も火を食べてみるか」と思って、目の前にあったものに火をつけて食べてみたんですね。
山崎
えっ!それ、火傷しますよね!?
大畑
しました(笑)。
山崎
ですよね(笑)。火を食べたら、「あちっ!」ってなるじゃないですか、そこからどうやって作品に昇華していったんですか?
大畑
大道芸人の火は松明のような火ですけど、「この火ではないな」ということに、まず気がついたんですね。いろいろなものに火を点けて、ひとつずつ失敗していくうちに、「あっ、自分はこういうことがしたいんだ」ということが、だんだんとわかってきて…。
山崎
なるほど。さまざまな火を食べていくうちに、自分の中で、どんどん作品が昇華されていくというか、整理されていく感じ。
大畑
そうですね。だから、そのプロセス自体が、自分にとってはすごく大事なことなんです。対象と対話をしているうちに、だんだんと作品になっていく瞬間というのがあって。それで、いくつかの条件が整っていくと、「あっ、いけるかな」という感じになる。
山崎
それは、どういう条件なんですか?
大畑
たとえば、「何故火を食べてみたいのか?」という問いも自分にとって大事なんですが「どんな火だったら食べてみたいのか?」という問いに移行すると、より具体的にイメージが出来るようになります。すると「僕が食べたいのは、蝋燭のような、命のような印象を持った灯りなんだな」とか。あとは、実際に口の中に入れるということは、食べ物としての要素があるので、その時に「蝋燭のようなイメージを連想できる食べ物はチョコレートかな」とか。そうすると、「チョコレートだったら特別なものになりそうだな」とか、条件がだんだんわかってくるんですよね。
山崎
なるほど。火を食べる作品には「Lumière(リュミエール)」というタイトルが付けられていますけれど、この言葉にはどのような想いが集約されているんですか?
大畑
リュミエールはフランス語で光を意味します。スイーツとしての側面もあるのでフランス菓子のイメージを持たせようと思ったのと、「火」ではなく「光」の方が、非物質的なものへの憧れが伝わるかなと思って付けました。僕らは料理をする時に、普通に火を使っているんですけど、完成された料理から火をイメージすることは難しいですよね。でも、その料理をつくっている途中、厨房で火を使っている時って、なんかワクワクするじゃないですか?そういうことを考えた時に、火と食べ物が、もう少しつながっていくようなものをつくれないかと考えたのが、そもそもの始まりなんです。
山崎
火の結果だけでなく、その時のワクワク感みたいなものまで取り込んで、対話をしていくということですね。そこから今度は、体験・体感という部分に落としていくための作業が発生してくると思うんですけど。「火のついたチョコレートを、どのような空間の、どんな雰囲気のなかで食べてもらおうか?」というような部分ですね。そういう部分は、プロダクトからどのように思考を拡張していくんですか?
大畑
プロダクトをつくる時は、素材と一対一のような形で取り組むので、その先のことはあんまり考えていないかもしれないですよね。出来たものを人に見せる段階で、作り手としての自分と、鑑賞者としての自分を切り替える感じですね。
山崎
なるほど。たとえば、「Lumière」だったら、ピアノの演奏がある空間の中で、みんなで体験しますよね?たとえば、あれをひとりで体験してもいいわけじゃないですか?けれど、みんながいる空間でそれをやることになったというのは、どのような意図があったんですか?
大畑
最初に発表した時は、火の付いたチョコレートを食べてもらうだけだったんです。その時、瞬間芸的というか余興的なものの一つに受け止められそうだなって気づいて、この作品だけで成立する形にしようと思いました。音楽は最初からあったら良いとは思っていましたが、作品のイメージを理解してくれそうな音楽家を探すにしても見当がつかなかったんです。でも、初めて発表した場所で阿部海太郎さんとの出会いがあり意外にもあっさり実現出来ました。以来ずっとお願いしています。体験そのものは一人でも出来ると思いますが、同じ場所と時間を共有することで、参加者も火を食べる時には見られますし、人が食べている時には見る立場になります。それぞれが主役から名脇役まで演じることで、会場の中である種の一体感が生まれることを期待しています。
山崎
少しずつブラッシュアップされていくんですね。ちなみに、火を食べる経験というのは、参加する人のほとんどが初体験だと思いますが、参加者の声で印象に残っている言葉はありますか?
大畑
火を食べる前、ワクワクしている方たちは、食べた後になにかが起きると思っているんですね。でも、意外とあっさり食べられるので、「あれ、ただのチョコレートだな」となることも多いんですけど。ある方が「食べた時の感動というのはなかったけど、食べるその瞬間、全くの真空状態というか、なにも考えずにすーっと作品と対話していた」とおっしゃっていて、それはすごく嬉しいかったですね。

美術とプロダクトと身体性。

山崎
今までユニークな作品をいろいろと発表されていますが、もともとそういった作品をつくりたかったんですか?
大畑
もともとはプロダクトデザイナーになりたかったんです。中学生ぐらいから、車のデザインとかにすごく惹かれていて。ただ、自分がプロダクトのデザインをやろうと思えば思うほど、「無理だな」と思って。
山崎
へぇ。それはなぜですか?
大畑
自分の経験が浅すぎて、つくりたいプロダクトのアイデアが浮かばなかったんですよね。ただ、車のデザインにしても、国によって特色が出るじゃないですか?国ごとに、造型や素材の扱い方が違う。その違いを通して、その国に旅する気分になれることが、もの凄くおもしろかったんです。
山崎
それって、いくつぐらいの頃ですか?
大畑
たぶん15歳とか16歳とかですね。
山崎
早熟ですね。そこから美術家という方向性にシフトしていったのは、なにかきっかけがあったんですか?
大畑
大学に行こうと思った時に、最初はプロダクトを専攻しようと思っていたんですけど、なにかしっくりこなかったんです。とりあえず、形とか素材とかに触れられる場所がほしいという一心で、「じゃあ、彫刻がいいんじゃないか」と思って、彫刻科に入学しました。
山崎
なるほど。そういう流れがあったからこそ、大畑さんの作品には多分にプロダクト的な要素があって、そこが強みになっているような気がします。逆にプロダクトのほうに進んでいたとしても、今の形になっていたと思いますか?
大畑
なっちゃうかもしれないですね、結果的に。
山崎
お話をうかがっていても、やはり大畑さんの興味は、美術とプロダクトのそのちょうど中間の身体性みたいなところにあるのかなと思うのですが、そういった作風ができてきたのはいつ頃からですか?だいたい、最初は皆さんいろいろと模索するものだと思うんですけど。
大畑
僕は、大学3年生ぐらいまで作家になる気もなく、大学での制作課題を、形のこと、素材のこと、作り手の意図とかを読み解くための研究のような感じで捉えてい ました。そうは言っても、当然、卒業制作というものがあって、「なにかつくらなければ」卒業できない。でもどうしていいかわからない。それで、開き直って 「なにもつくれない自分」「空っぽな自分」というものをそのまま表現すればいいかなと思って、空虚な入れ物としての自分を壺に見立ててつくったんですね。 それは、焼き物でできているんですけど、表面が自分の身体から型を取っていて、壺の穴の部分がちょうど臍の穴みたいな形になっているものでした。
山崎
へぇ、おもしろいですね。身体とのつながりということでいうと、「手相を矯正するための指輪」をつくられたという話も聞いたんですけど。それは、どういう作品だったんですか?
大畑
それはですね、人と猿の決定的な違いが手相に現れるという話を人体解剖学の講義で知って、それが元になっている作品です。拳を握る時に一番深く刻まれる皺に違いが表れていて、猿の手だと単純にまっすぐなんですね。でも、人間は遠くのものを指さしたりする時に人差し指を使うので、筋肉が引っ張られて、皺も離れていったらしんです。
山崎
確かに、人間と猿の手相は違いそうですね。
大畑
はい。ちゃんと晴太郎さんの手相は人間。あっ、でも、ちょっと猿が混じっていますね(笑)。でも、僕の場合はもっと猿の手相なんですよ。
山崎
へぇ。あ、本当だ。「本当だ」って言うのもあれですけど(笑)。
大畑
そうなんです。そういう話を聞いて、まじまじと自分の手を見たら、「猿だな」と思って。「人の手相になりたいな」というところから、人差し指を矯正する指輪みたいなものをつくって、5年間ぐらいずっとつけていたんですね。
山崎
5年間も!?それで、矯正されました?
大畑
されないです(笑)。
山崎
そうなんですね(笑)。でも、さっきの卒業制作の話とも共通性はありますよね。自分の身体にとても素直と言うんですかね。ちなみに、「お香でつくられた貨幣」という作品もあるとのことですが、これはまた別の指向性から生まれたものですか?
大畑
はい。この作品は身体的な関係よりも、ものの成り立ちや価値について扱っています。見た目は硬貨ですが、お香でできていて。それを実際に炊くと、香りが充満しながら、ゆっくりと灰になっていきます。綺麗に燃えるとは形がそのまま残るんですよね。展示では、鑑賞者がお香を炊くので灰の造形物が次々と出来ていきます。「形ってなんだろう、素材と結びついて形があるのか、素材に価値があるのか、価値って何?」とか、そういったことを考える場を作りたかったんです。硬貨をモチーフとしているのは、硬貨や紙幣って目に見えない「信用」を証明するために、ものづくりとしては凄い高度な事をしているじゃ無いですか?それにもかかわらず物としての価値が無いというルールが適用されていますよね。その飛躍が、アートの価値体系と似て、おもしろいと思って用いています。
山崎
なるほど。そういったテーマって、思いついた時と、つくられた後で、見方や考え方が変わっていったりするものですか?たとえば、さっきのお金の話って、社会的にもすごく大きなテーマを含んでいますよね。
大畑
そうですね。僕が作る作品自体が結論づけられたものでなく、ある状況を生み出すところで成立させているので、発表ごとに見え方や考え方が変わっていくことはあります。お金に限らず、どの作品にも社会的な問題は入り込んでいますが、それでも、アートは日常のリアルさよりもフィクションのリアルを追求分野だと僕は思っているので、直接的な働きかけのためにお金をテーマにしているわけではないです。

料理のメニューのような、美術作品。

山崎
ここまで、いろいろなお話を伺ってきて、「実際に今はなにをやられているんだろう?」とか、「これからなにをつくっていくのかな?」というのが、リスナーの方も興味があると思うんですけど。実は、今日のリアルトークサロンで、新作を参加者の方々に体験してもらおうと思っているんですね。その作品について、ちょっと教えてもらってもよいでしょうか?
大畑
今回は、「光を飲む」がテーマの作品で。前回は「火を食べる」でしたけど、より物ではないものに近づくという意味で、「光を飲む」という作品が出てきたのかなと思っています。
山崎
なるほど。それは、物とか物質から、どんどん自分の作品を離していきたいというような、そういった欲求が生まれたということですか?
大畑
やっぱり、火を食べるとか、光を飲むとかということを突き詰めていくと、たぶん太陽とかのエネルギーを取っていることなんじゃないかなと思うんですね。ただ、その火とか光というのは、実際には身体の中には絶対に取り込めないという物理的な状況もある。そこが、決して叶わないんだけど、だからこそ求めていくことがおもしろくて、それを共有したいという想いですかね。
山崎
なるほど、楽しみですね。身体の中にエネルギーを取り込むということが非常に大きなテーマということですが、その先にはなにがあるんですかね?
大畑
僕はルドルフ・シュタイナーに興味があって、精神世界というか、あの世の世界がどんな状況なのか、またあの世から僕たちが生きている世界はどう見えるのか知りたくて、色々記述された本を読んだりするんですが(笑)、そうしたオカルト的なフィルターを通して食について見ていると、いずれ人は食べなくなるかもしれないと思うんですよね。実際にインドなんかでも、何十年間、なにも食べず太陽からエネルギーを受け取っていると言う人とかも出てきますけど、それも何か暗示されていると思っています。食べないで生きていけるなら殺生しないで済むということも大きなテーマだと思いますが、今の所食べなければ僕自身も生きていけません。今後、身体や意識がどう変化していくのか?本当に多くの人が食べなくなるまでにどれくらいの月日がかかるかは僕には想像もつきません。ただ、可能性の一つとして考えています。
山崎
ある種の預言と言うか、それを自分なりにどうやって現代に落としていくかという感覚なんですね。ちなみに、今後、一生をかけてつくりたい作品というものはありますか?
大畑
僕はたぶん、料理のメニューのように作品を考えているので、「火を食べる」にしても、「光を飲む」にしても、自分のメニューに加えていっているというような感覚なんです。だから、「食べたい」という人がいたら、「じゃあつくるよ」という感じの作品を、今後も増やしていきたいなと思っていますね。
山崎
へぇ、それは素敵なイメージですね。フルコースみたいなのができるということですよね。想像するだけでワクワクします。そろそろ時間もなくなってきたということで、ちょっと情熱大陸的に(笑)。大畑さんにとって「美術」とはなんでしょうか?
大畑
僕にとって「美術」とは世の中を見るための「フィルター」かもしれません。今世界中の文化や習慣の異なるアーティストがどんどん日本でも紹介されるようになって、本やニュースでは感じられなかったものを美術を通して運ばれてきています。ずっと美術に触れてきたからかもしれませんが、美術という形で翻訳されているから理解できる事って少なくないんです。ただ現実をそのまま切り取ろうとするより、フィクションとして作り上げているものの方が、リアリティーを感じます。目には見えないものを炙り出すのが美術の役割だと思っています。
山崎
なるほど、ありがとうございます。それでは、最後にリスナーの方へメッセージをお願いします。
大畑
今日のイベントで新しい作品をお見せするので、お時間のある方はぜひ参加していただけたらと思っています。雪か雨かわからないですけど、ぜひよろしくお願いします。
山崎
はい、ありがとうございます。この後、リアルトークサロンのほうも大畑周平さんをお迎えして21時から23時まで開催いたします。本日はありがとうございました。
大畑
ありがとうございました。
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